スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

誉め上手な人

『増注聯珠詩格』注釈 巻之七
  [用底事字格]   底事字を用ふるの格

     ぼくちく                      ちんげつくゎん
     墨竹            陳月觀
●  ●  ○  ○  ●  ●  ◎      ぎょくりつ せうせう     たけすうかん
玉立蕭蕭竹數竿    玉立蕭蕭たる竹數竿
○  ○  ●  ●  ●  ○  ◎       ふうし    ろえふ   せいかん  お
風枝露葉帶清寒     風枝 露葉 清寒を帶ぶ
●  ○  ○  ●  ○  ○  ●      きうねん   こきょく   じんか    み
舊年湖曲人家見    舊年 湖曲 人家に見る
●  ●  ○  ○  ●  ●  ◎      なにごと     しじゃう   うつ   き       み
底事移來帋上看     何事ぞ 帋上に移し來たりて看る
                                             (上平聲十四寒韻)


【通釋】
 美しく立つ、ものさみしそうな何本かの竹
 枝を渡る風や葉に浮かぶ露が清らかな寒さをまとっている
 むかし、湖畔の人家に植えられているのを見たが
 どうして(今、私は)紙の上に移されてきた竹を見ているのだろう

【注】
形容竹逼眞有聲之畫也(竹を形容して眞に逼る。有聲の畫なり)
   竹の姿を形容して真実にせまる。詩と絵が一体になっている絵画である。

[]杜詩雲飛玉立盡清秋①王荊公詩風枝雨葉瘠土竹②(杜が詩に雲飛びて玉立盡く清秋、王荊公詩に風枝雨葉瘠土の竹あり)
  杜甫の詩に『雲飛びて玉立盡く清秋』。王荊公の詩に『風枝雨葉瘠土の竹』とある。
  
①全唐詩に「見王監兵馬使説近山有白二鷹羅者久取竟未能得王以為毛骨有異他鷹恐臘後春生鶱飛避暖翮思秋之甚眇不可見請余賦」という杜甫の詩があり、「雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。在野只教心力破,于人何事網羅求。一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。鵬礙九天須卻避,兔藏三窟莫深憂。」とある。

②『山谷内集詩註』巻十五の「題子瞻畫竹石」詩に「風枝雨葉瘠土竹,龍蹲虎踞蒼蘚石。東坡老人翰林翁,醉時吐出胸中墨。」とあるので、この詩は王荊公(王安石)のものではなく、黄庭堅の詩の誤りであろう。

覩物而有懷舊之意亦寓感慨(物を覩て、舊を懷ふの意有り。亦、感慨を寓す)
    物を見て昔を懐かしく思う心がある。また、感慨を寄せる(寄託する)詩である。

〈陳月觀〉
陳月觀は宋元の際の時の人なり。『鄱陽五家集』巻一、宋の黎廷瑞の『芳山洲』に「金陵陳月觀同年三首」有り。陳氏可能(おそらく)は金陵の人爲るを見る可し。黎廷瑞(1250~1308)字は祥仲は、鄱陽(現在の江西省波陽)の人なり。度宗の咸淳七年(1271)、同じく進士出身を賜ふ。陳氏之と同年なれば則ち亦た咸淳七年の進士なり。宋の亡びし後、陳氏可能(おそらく)は北方に漫遊せり。汪夢斗の『北遊集』巻上の「山陽寄陳月觀」に云ふ。「幽州此去三千里,行客當歸六月期」と。又た王奕の玉斗山人集巻二に「見陳月觀二首」の二に云ふ有り。「燕臺接武何多隗陀,呉國孤騫未見雲」と。又た多年未だ江南に回らず(幾年不踏江南路)。之と交遊する者は黎廷瑞・王奕・汪夢斗等の人有り。


参考文献
・唐宋千家聯珠詩格考證 卞東波考證 鳳凰出版社 2007年
・杜詩集註 仇兆鰲注 中華書局 1979年
・黄庭堅集注 劉尚榮校點 中華書局 2003年

↓原文ナリ
増注聯珠詩格・墨竹

○→平声
●→仄声
◎→押韻


「なるほど。人サマの描いた絵を誉める時はこのように誉めるのか!」という詩であろう。
詩の趣旨は「竹の絵を見ているが、昔見た人家に植えられていた竹そっくりだ。何と上手なことだろう!」といったところ。



蛇足
漢詩を書くときは、原文と書き下し文を少し大きなフォントで設定しているのですが、InternetExplorer(IE6だけ?)では少々見にくくなってしまうようです。Firefoxでの動作確認をしているので、こちらをオススメします(IEより軽いしねw)

コメント

コメントの投稿




URL:

Comment:

Pass:

 管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。