陶淵明

陶潜 とう・せん Tao Qian
字    淵明
号    五柳先生
生没年 365~427
出身地 潯陽柴桑の人

 六朝時代の酒を愛した田園詩人・隠逸詩人として唐以前の詩人の中で最も日本人に親しまれている。

 陶淵明の人生哲学は「五柳先生伝」に書かれており、また、後世の『宋書』隠逸伝や『晋書』隠逸伝・『南史』隠逸伝も「五柳先生伝」を引用しつつその人となりを伝えているものの、伝記には名字などの不明な点が多い。名・字・小字を表にしてみると以下のようになる。

小字出典
淵明
『宋書』『南史』。蕭統は或説
淵明元亮
蕭統。『宋書』は或説
元亮
『晋書』
元亮深明
『南史』の或説
潜のち淵明淵明
のちに
元亮

葉夢徳
淵明、
一名潜
元亮
晁公武
淵明、
入宋後潜
元亮
呉仁傑・張
淵明(義煕中)

潜(元嘉中)
元亮
淵明

熊人
淵明元亮梁啓
元梁淵明


 また、生年も曖昧で今日に至るまでさまざまな説が出されているが、通説では晋の哀帝の興寧3年(365)に生まれ、南朝・宋の文帝の元嘉4年(427)に63歳で卒したとしている。

 サテ、陶淵明の曽祖父は東晋時代に蘇峻の乱を平定した功で長沙郡公に封ぜられた陶侃(とうかん)であるが、陶侃は一説に湖南武陵の渓族であるともいわれる。祖父を陶茂というが史書に父についての記載はなく、淵明の幼少時にはすでに家運は傾いていた。

 晋の太元18年(393)、29歳で出仕し、江州の祭酒となるも、「小日にして」辞めてしまった。ついで36歳以前に江陵を拠点に一大勢力を築きあげていた桓玄の幕下の入ったが、これも母の喪に服すために辞した。やがて桓玄がクーデターを起こし敗死すると、こんどは劉裕の下で軍職についた(404)が、すぐに後悔し、隠棲の決意をかためる。しかしすぐには実行せず、翌年、あらためて建威将軍劉敬宣の参軍となり、劉敬宣が辞任した後、陶淵明も辞職したと思われる。

 義煕(ぎき)元年(405)年秋、仕途における最後の官職である彭沢(ほうたく)の令(長官)となった。隠棲後の生活を考えて着任したようだが、もともと不本意であったため、義妹が亡くなったのを機に願い出て退職し、郷里の農村に帰った。一説には、勤め先に視察官が訪れることになり、下吏から衣冠束帯して出迎えよと言われ、「吾豈(あに)能く五斗米の為に腰を折りて郷里の小児に向かわんや」といって即日辞職して郷里に帰ったというが、「帰去来兮辞」には触れられていないのでさだかではない。

 しかし帰田したものの、周囲には語らえる友もなく、濁酒によって無聊を慰める日々であった(「僮僕」がいた事実からすれば帰田直後は年中田畑で働く必要もなかったようダ)。

 帰田して3年、住居が火事で焼け落ち、一家はしばらく門前に船をもやい仮住まいしたあと、南村に移り住んだ。秋に躬耕の伴侶であった従弟敬遠が亡くなったこともあり、淵明自身、生計を支えるため前にもまして力耕せねばならなかったが、転居を機に参軍・主簿・県令などの役人、潯陽に隠棲していた文人たちと交際を求めるようになる。

 義煕14年(418)12月、劉裕が晋(東晋)の安帝を幽閉した後、絞め殺して恭帝を立て、2年後、恭帝に「禅譲」を迫って帝位につき、宋王朝(劉宋)を開いた。 時代が晋から宋へと移り変わる中、この頃から淵明は病床に伏すことが多くなり、暮らしは困窮の度を加えていく。

 晩年は、病苦(マラリア)と生活苦に見舞われ、作品にもその日の食べ物にもこと欠く窮状が述べられている。周囲の友人が一人また一人とかれのもとを離れていくなかで、景平元年(423)、顔延之が始安郡太守となって潯陽に立ち寄った時には、毎日淵明のところへ来て飲み、心ゆくまで酔っ払った。立ち去る間際、顔延之は淵明に2万銭を渡したが、淵明はそれをそっくり居酒屋に預けて、随時その中から酒代を差し引いてもらうことにしたという。
 宋の文帝の元嘉4年(427)11月病没し、顔延之が誄を書き、靖節と諡(おくりな)した。

 陶淵明の作品は、詩124篇、辞賦・散文12篇が伝わっている。詩の形式は四言詩と五言詩とに分けられ、内容的には詠懐詩と田園詩、哲理詩に分けられるのが一般的である。詩には「飲酒二十首」 「雑詩十三首」などがあり、辞賦・散文には「帰去来兮辞」 「桃花源記」 「五柳先生伝」などがある。

 華やかな貴族文化の中にあって、ひとり陶淵明の詩は、その人生哲学と相俟って、実に素朴で、味わい深い。しかし、政治への参加を大前提とし、詩文の華麗さを追求する当時にあってはそれほど高くは評価されなかった。同時代人の顔延之にしても蕭統(『文選』の編者)にしても、節を守って隠棲した陶淵明の生き方に共鳴はしても、それほど高い評価は与えておらず、彼の詩が本格的に認識・評価され始めるのは盛唐の王維・孟浩然からである。

 しかし、「隠者の詩がなぜ後世にまで残ったのか」というナゾは残る。
パトロンでもいたのだろうか    .
2004.10.31

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